高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)とは【日本神話】

日本神話神話

高皇産霊尊とは

高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は、日本書記の天地開闢時の異説4に、天御中主尊の後、異説内の表記順で言うと4番目に出てくる神です。

産(むす)は植物が自然と現れる様をいい、霊(ひ)は霊的な力のことを言います。

天地開闢時の異説に出てくるのですが、その後の天孫降臨などの部分で色々出てくるのがこの高皇産霊尊です。

一説には、この高皇産霊尊が元々の皇祖神で、どこかのタイミングで天照大神に移したというのもあります。

その説には根拠がありまして、日本書記に載っている天孫降臨のエピソードにおいて、本文と異説の大半で、主導役が高皇産霊尊だからです。

古事記では高皇産霊尊のことを高木神と表記している場所があり、もともとは高木を神格化したものではと考えられています。

巨樹は現代でもパワースポットなどと呼ばれて御利益的なものを求めて人が集まります。現代でもそうなのですから、大昔、文字も存在しない日本で神格化されていても不思議ではないでしょう。

様々な神話で巨樹は神格化されていて、北欧神話のユグドラシルや中国でいう扶桑、他にシュメールの神話やペルシア神話などにも出てきます。

世界樹みたいなイメージもあるため、日本でももしかしたらそういった神格化が文字に残らない人達の中には残っていたのかもしれません。

天孫降臨の高皇産霊尊

日本書紀の天孫降臨部分は、第2巻の神代の下の冒頭から始まります。

その際に、日本書紀では皇祖(みおや)高皇産霊尊と書いてあります。説があるどころか、日本書記では天孫降臨の時にはっきり書いてあるんですよね…。

しかも、この冒頭部分、葦原中国に対しての天孫降臨を主導しているのが、完全に高皇産霊尊なんですよね。

日本書記の本文だけ読むと、高皇産霊尊が主役だなで終わってしまうのですが、その後の異説の1つでは、高皇産霊尊の役が天照大神に変わっているものがあります。

しかしながら、異説の中で天照大神になっているのは1つだけで、他の異説ではやっぱり高皇産霊尊なんですよね。

また、古事記では天孫降臨の最初で、最初に豊葦原は天神のものだと提示するのが天照大御神で、その後、高御産巣日神と天照大御神と書いていたのを、いつの間にか天照大御神と高御産巣日神と順番を逆にし、高御産巣日神を高木神に変え、だんだんと出なくなっていくという表記の仕方をしています。

日本書紀の本文と異説の大半は明らかに高皇産霊尊がメインです。異説では天照大神が出てきますが、二神を併記してある異説はありません。

というわけで、古事記の記述からは何がしかの作為が見られます。もちろん、日本書記にも作為はあるのですが、異説として併記されている分、まだ親切です。

傍証ではありますが、日本書紀の15巻の「弘計天皇 顯宗天皇」の項目には、日の神と月の神が「わが祖高皇産霊尊をまつれ」という神託をする場面があります。

日本書紀編纂者が集めた資料がどのようなものだったのかを全て明らかにするのはもう無理なわけですが、高皇産霊尊を基本線とした記述が多いため、日本書紀編纂時期に伝わっていた話は高皇産霊尊が皇祖といってもいいんじゃないかな~と私見ですが思います。

大日孁貴(おおひるめのむち)と天照大神

現在では日本神話に主神として有名な天照大神ですが、日本書記の本文では最初の太陽神は「大日孁貴(おおひるめのむち)」で、その部分に「一書にいわく、天照大神」とあります。

日本書記で太陽神が誕生する場面では、本文外の一書にいわくか、異説の中にしか天照大神という言葉は出てこないのです。

その後の、イザナギが退場する場面から始まる本文で、やっと天照大神として出てきます。

この流れを見て、私見ですが、天照大神という神は、長く神話が語り継がれる中で、日本書記や古事記が編纂されるまでの間のどこかで昇格したと考えています。

外の勢力の神であった天照大神が、同じ太陽神である大日孁貴の名前と取り換えられたのか、名前が変わっただけなのか、もしくは天照大神自体が忘れ去られていて、再度復活したのか、どういう経緯かはわかりませんが。

ただ、日本書記編纂者が天照大神を異説に入れたのには、何がしかの理由があるはずです。

政治的な理由なのか、文献を精査したが故の編纂者としての客観的態度なのか、それはわかりませんが、本文でわざわざ一書にいわくとした以上、日本書記編纂のタイミングでは大日孁貴がイザナギ・イザナミの神話の中での太陽神であったと、私見ですが自分は思っています。

そのため、もともと高皇産霊尊が皇祖だったというのは現実的に考えられる説だと思うのです。まあ、これも私見です。

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